私の3.11まんまるリレー ゆみ


【私の3.11まんまるリレー〜八重樫優美〜】

まんまる運営スタッフによるリレー連載。今日の担当は八重樫優美です。※以下、長文です。また震災当日の表現を含みます。被災の程度、内容を比べるものではありません。現在の、まんまる運営スタッフとしての気持ちを読んで頂けたらと思います。

震災当時、私は宮城県に住んでいました。妊娠6か月だった私は、職場ですごい揺れを感じ外に避難しました。なかなかおさまらない大きな揺れと目の前で地面が割れていく光景に、一体何が起きているんだろうと不安でいっぱいでした。
職場があった場所は内陸でしたが、山道を車で20分ほど走れば沿岸部という地域でした。すでに停電していたため、車のラジオをつけてみると大津波警報が。今もあの音を思い出すと胸がざわざわします。

住んでいた地域も津波そのものの被害はありませんでしたが、水・食糧・ガソリンの調達が大変でした。紙おむつやミルクも品薄で、その時思ったことは、この子がお腹にいる時で良かった、まだ産まれてなくて良かったということでした。
6月、産休に入った私は実家のある北上に帰り、そこで美代子さんや母が関わっていた被災妊産婦の受け入れ事業を知りました。ただ単純にすごい!何か手伝いたいな、と思いました。実際にそこでお産をして被災地に帰っていくママ達を、これからも見守りたい、繋がっていたいと思ったのが「まんまる」のサロン活動のはじまりだと思います。

あれから5年が経ちます。私たちはたくさんの方々からのご支援や助成金で活動を続けてくることができました。最初はほとんどボランティアで、次第に寄附を頂いたり助成金を使っての活動です。お金が無いことの大変さも、お金を頂くことの大変さも知りました。事業が増えたり、大きくなったりすることで、逆に窮屈に感じることもありました。自分の進む方向が見えなくなりそうなとき、あの「何か手伝いたい」と思った気持ちを思い出します。

助産師ではない私にできることはと考え、サロンのおやつを作ることならできるかも…という思いが、自身の出産や子育てを経て、産後のママ達にごはんを作りたい!に変化しました。
ママ達を支えたくて被災地に行っていたつもりが、こちらが励まされたり助けられたりという経験もたくさんしました。

出会ったママ達が、今度は私が役に立ちたいと活動を手伝ってくれるようになりました。「まんまる」はそんなママ達の思いを次のママ達へつなぐ役割も持っていると思います。前は一人で作っていたサロンのおやつも、今はママ達が手伝ってくれます。今年度は、まんまるキッチンという形で、食のお話しや料理教室もさせてもらいました。5年かけて、たくさんの人に助けられて、少しずつ色んなことが実現できました。私にとっての「まんまる」は、思いをかたちにできる場所だと思います。これからも、私たち「まんまる」の歩みを応援してくださいますよう、お願いいたします。

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